人は


20代の頃にはまった、もう一つの草彅ドラマ、「僕の生きる道」。主人公の中村秀雄は、真面目を絵に描いたような高校教諭。健康診断で、突如、余命一年と宣告されます。その一年、秀雄は変貌も遂げていきます。憧れだった、同僚のみどり先生に、以前はほぼ相手にされませんでしたが、急にみどり先生との関係も深まっていきます。ある日、秀雄は、みどり先生と並びながら、しみじみと話し始めます。

「余命を宣告されて、僕はしばらく、めちゃくちゃなことをしました。それまで、真面目に仕事をして、貯金をして、健康に気をつけていたのに。僕は、真面目に生きてきた自分を後悔したんです。でも、今では、そうやって生きてきた自分がとても愛おしく思えるんです。」


心が苦しくなって病院を頼るなら、精神科。私が高校時代に繰り返し読んだ、精神科医でもあるなだいなだの一冊に、次のような一節がありました。

「人間は非人間的なものである。だからこそ、人間は自分のしたこと全てに責任をもたなくてはならない。」

昔は、この言葉が厳しく感じられたような気がします。でも、今は、この言葉に寛容さも強く感じます。


人間に勝るのかと、昨今、あちらこちらで目につくようになってきた人工知能AI。いわゆるハイテクの機械類に疎い私は、見かける度に、何?ただ、どうも、情報を吸収して蓄積させつつ、判断能力があるものらしい、くらいにわかってきました。


AIの失敗を挙げるなら、バッテリー切れと何かの誤認識くらいでしょうか。やっぱりかなり以前に読んだ新聞記事で、内海桂子師匠が

「最近の人は芸がない」

と言っていました。私には、人間のしでかす失敗の方が、とんでもなくて困ったもののように思えます。でも、失敗し、思い悩んだようなときにも、人間には、人間ならではの芸もある。そんなことも心に留めながら、果敢にも生きていけたらと、折々、考えています。

呟き



ツイートを英語で書くとtweet。もとは「小鳥のさえずり」の意味からきているとか。ほんの短い文章に要約されて込められていて、説明不足になるのではという気もするけれど、深い納得もあったり。


流行りのツイッターから離れて、やっぱりテレビドラマの主人公達の呟きを私は折々、思い出す。


恋を何年休んでますか」の主人公夫婦が衝突する場面。夫が妻に、

「パパ、パパって、僕は君のパパじゃないんだよ。」

そうしたら、妻は

「私はママで、妻だけれど、それだけじゃないのよ。」


薬師丸ひろ子が演じた「ミセスシンデレラ」で、夫からしばらく離れて暮らしていた妻が、家に戻り、訪ねてきた友達と話しこんでいるうちに、

「前はね、家族のためにお掃除をしなくちゃって思いながらガラス窓も拭いていたの。でもね、今は、掃除をして窓ガラスがきれいになると、あー、きれいになったなって嬉しいの。」


山口智子主演の小学校お受験がテーマのドラマ。最難関校の親子面接。パパは同僚の計らいもあり、ギリギリセーフで面接に臨みます。お受験をめぐり、夫婦ですったもんだも繰り広げ、併願校は全て不合格で臨んだ試験。パパとママは、それぞれに本音で面接官に返答し終え、笑顔で視線を交わします。最後に、面接官は、息子の翼君に問いかけます。

「翼君は、この学校をどう思いますか。」

すると、翼君、

「パパもママもニコニコしているので、いい学校だと思います。」


書いてみて、呟きというか、他人が本音で口にしたことも、記憶はしていても、ずっと後になって、あー、と心に染み入ることもあるなと。


最後に、私がたぶんかなり好きな呟き。ドラマではなく、ウッチャンナンチャンのバラエティーで、剣道部全員が決められた時間に揃って毎朝、稽古を始め、目標の日数まで欠かさず継続できたら賞金がもらえる企画で、参加した中学生男子の。お母さんに、夜、トゥナイト2は見ないのかと聞かれ、

「それができたら苦労はないよ。」


人生を積み重ねたら、また新しい貴重な呟きにも浸るかも、とも思ったり。


自分を見つける



昨年、聖路加病院の日野原先が亡くなられ、追悼の番組などが色々とありました。その中で、日野原先生の言葉で私にとって一番印象深かったのは、「人生とは自分との出会いである」という言葉でした。日野原先生の著書などを以前にも読んだりしていたのですが、長年、医療や医学の発展に大きく寄与されながら、1人の人間として、ご自分の心の中の気持ちを素直に感じ取りもされながら、一歩一歩、歩まれてきたのではと思いました。


紹介されたVTRで、晩年、奥様が認知症を患われ、日野原先生にとって、お仕事から帰宅して、奥様の手をとって、「ただいま」と声をかけるときが一番の安らぎのときだった、とあったのもとても印象的でした。


もう遠い昔になりつつありますが、私は受験生の頃、しぶとく医学部を目指していた時期が長くありました。途中で体調を崩したこともあり、諦めました。私は十代、二十代、途中、間があくこともありましたが、長く、定期的にカウンセリングルームに通っていました。カウンセラーさんと交わした言葉をここに書くことはしませんが、今となってみれば、そのような機会を得られたのは、それはそれで本当に恵まれたことでもあったと思います。一方で、その頃、そこに通わなければ、自分の将来への手がかりを見つけられないような気持ちも抱えつつ通っていながらも、自分が余計なことを思い悩まなければ、ここへ通う必要もなかったのでは、もっと輝かしい経歴も手にしていたのではと、折々、暗い気持ちも持ち合わせていたのも、ここに正直に書いておこうと思います。ただ、そこで、自分と向き合い、自分の気持ちを噛みしめるような言葉も見つけつつ、お話を重ねたからこその、今の自分の強さもあると考えています。


それでも、当たり前といえば当たり前ですが、今でも行き詰まるようなこともあります。ここ最近、中学高校の修養会という行事で紹介された絵本をふと思い出し、ネットで購入しました。シルヴァスタイン作の「僕を探しに」という絵本です。まん丸だけれど、口のところがパックリと三角にあいた僕は、口のところにちょうどはまりそうなかけらを探しに旅をします。歌いながら、色んなものに出会しながら、長く転がり続け、幾つかめに、ぴったりのかけらを見つけます。ところが、そのかけらをくわえて転がり続けると、ずっと早く転がることができるのだけれど、しばらくして、そのかけらをそっとおろし、また一人、転がっていきます。


この絵本の解釈は色々とあるようです。ただ、作者の言葉として、「すべてがうまくいかなかった駄目な人間(those who didnt fit)のためにも、those who did のためにも書いた」とあるそうです。


私自身の解釈は、幾度、失敗や挫折も重ね、その都度、自分を省みても、その後もやっぱり何か足りない自分、でも、その自分だからこその面白い人生があり、それぐらいの心持ちで歩むのがだいたいちょうどいいんじゃないか、です。そんな感想を持ちながら、この本を机から手を伸ばしてすぐのところに置くことにしました。

その次の一歩



私が中学生の頃に、テレビで見た映画、「星の王子 ニューヨークに行く」。べたと言えばべたなラブストーリーコメディです。私も最初に見た頃は、エディー・マーフィーのコミカルな表情と、テンポのいい展開に魅かれ、プロポーズのシーンなどが記憶にしっかり残っていたように思います。


でも、テレビで繰り返し放送され、20代に入ってから私の印象に残るようになったのは、終盤の国王と王妃のシーン。エディー・マーフィー演じるアキーム王子の両親でもある2人は、アキームの結婚を巡り、揉めます。王妃は、「リサはいい娘よ」と言って、国王にアキーム王子が求める結婚を認めるように言います。王妃に「いい加減に機嫌を直してくれ」とも言っていた国王は、見合い結婚がしきたりで変える訳にはいかないんだと、最後には、半ばボヤくように言います。すると王妃が、「あなたが国王でしょ」と一言。


しばらく前に、ネットの名言紹介記事で見つけた言葉。

アスファルトの道は歩きやすいが、そこに足跡など残りはしない。


現代日本の平均寿命のだいたい半ばあたりにきて、この頃、この先もアスファルトの道もあれば、足跡がくっきり残りそうなぬかるみに踏み出すこともあるかもしれないかなと思います。ただ、自分なりに踏み出した一歩一歩を大事に、その次の一歩も、私の一歩を大事にしていきたいと考えています。

あの頃は


私が20代の頃に流行ったセカチュー、「世界の中心で愛を叫ぶ」。映画の後に作られたドラマ編の方を、たまたま初回に見て、その後は最終回まで毎回、きっちり見ました。その頃に熱中したのは、やっぱり主人公の高校生、朔と亜紀の展開だったように思うのですが、やけに印象に残っているのは、朔の父親と亜紀の父親が、岸壁に2人並んで話をするシーン。亜紀の父親は、ちょっとビシッとスーツ姿、幾分、距離を置いて、一緒に海を眺めながら座る朔の父親は、ポロシャツか何かのやや寛いだおじさん風だったと記憶しています。先に、亜紀の父親が、朔が思い立って、タキシード姿の朔とウェディングドレスの亜紀の記念写真を撮る計画を練っていることについて話し始めます。亜紀の父親は、

「うちの娘は、もう長くないかもしれません。私が朔君の親だったら、そんな写真を撮ることに反対すると思います。」

と言います。すると、朔の父親は、ぼんやりと海を眺めたまま、

「そうですかねぇ。また、こんな風に幸せそうに笑いたいって、思うんじゃないですかねぇ。」

と、のんびりと返します。


もう一つ、私が20代の頃に見て記憶しているもの。大学に通うのに使っていた電車の中吊りに、雑誌のキャッチコピーを募集する広告が出ていました。大賞の賞金が100万円だったかで、何か思いつかないかなぁと考えながら眺め、数ヶ月後に発表された大賞作品を、確か、何かの雑誌で見ました。大賞作品は

好きな雑誌はなんですか?

でした。最初に見たとき、なんだかハイセンスかなぁと思いつつ、雑誌のよさをアピールする文言が抜けているような感じで、ちょっと呆気にとられたようにも思いました。でも、問いかけてくるところになんだか温かみもあって、それでいて並ぶ雑誌に目を向けてと誘ってもいるんだなと、そう、今の私は感想を書きます。


大人になって、大事な公的書類を自分で書く機会も、特に家庭をもってから増えました。だけれど、気がつくと、自分が問いかけられる機会は滅多にないないような気さえ。

大人って自由でいいな

という子供時代の呟き、大人になったからではなく、なんだか遠のいて、しみじみと思い出せないような。


2週間ほど前だったか、私が洗い物をしていて、ちょっと視線をあげたら、主人がいつものように、ソファに寝そべって、iPadで調べものをしているようでした。

「何を調べているの?」

ときいたら、なんだったか、昔懐かしのキーワードみたいなのをボソッと言いました。で、私が、なんとなくの思いつきで、

「あの~頃は~よかったねと~、言いって~過ごしたくな~い」

と、槇原敬之のサビを歌ったら、主人がガバッと起き上がって、咄嗟に、

「ごめんなさい」

と言っていました。マッキー、いい歌作るなぁ。

一緒にいてくれるだけで


木村拓哉松たか子の共演で、私が予備校生だった頃に話題になったラブジェネレーションというドラマ。私はあまり惹かれなかったのもあり、たまに時間があうとちょっとだけ見ていました。唯一、印象に残っているのは、メインのストーリーから外れて、木村拓哉のお兄さん役の内野聖陽とその婚約者の純名里沙の最終回のシーン。


最初、婚約をしていた2人は中盤、関係が難しくなります。でも、やっぱりと、確か空港に内野が追いかけていって、純名を見つけ出し、面と向かって伝えた言葉。

「もう僕は、君を幸せにするなんておこがましいことは言わない。僕は君に幸せにしてもらいたいんだ。」


文脈によっては、ちょっと間違えると、いわゆるヒモ宣言にさえなりかねません。でも、勝手に言葉を補って

「僕は君が一緒にいてくれるだけで幸せなんだ。僕と一緒にいて、僕を幸せにしてもらいたい。」のプロポーズなら、本当に素敵かなと。


で、我が家は結婚8年目。今年は3歳の息子が幼稚園に入り、初めての夏休みもありました。ほぼ毎日、だいたい息子と一緒の1カ月半に、途中、私も度々、バテ気味、壊れ気味にもなりながら、また学期がスタート。夜、息子が寝静まって、スースーと寝息をたてているのを見ていると、来年の夏休みも大変そうだけれど、来年はできることもできちゃうこともたくさん増えて、色々と全然、違うんだろうなぁと、なんだかもう今年の夏休みが思い出深い。カップルと親子は勿論、あれこれ違うけれど、折々、「一緒にいてくれるだけで」の言葉が潜んでいるあたり、同じかなと。


寝顔を眺めているときとか、本当にそう思いますが。朝、息子と手を繋いで、「急ごう。園バスが来るよ。」とバス停に息子を急き立てながら向かう時間帯やら、本当に必死です。(^^;

A good smile (「笑顔」を英訳)

A good smile


In Japan its in the middle of season for taking entrance exams. After so many hardships and struggles, each ones spring begins in April.


I remember how much and how long I was depressed after I entered my university. Probably anyone could have found it to see my face when I trudged up the way to the campus.


Although I know its so rude especially to my schoolmates and others at the university I graduated from, I write the following honestly. Inside, I always muttered I didnt have to study so much or make such an elaborate plan just to enter this university. However I confess another thing here too. I always pretended not to notice my deepest wish.


I often saw students on campus laugh so cheerfully and from the bottom of their hearts. That made me depressed every time. Those days I was doubtful whether I could smile a good smile again someday. 15 years has passed since my graduation.

As long as you keep your wish to smile a good smile, you dont forget to smile a good smile.


Now thats my core philosophy and I would like to stay tenacious in holding it.