その次の一歩



私が中学生の頃に、テレビで見た映画、「星の王子 ニューヨークに行く」。べたと言えばべたなラブストーリーコメディです。私も最初に見た頃は、エディー・マーフィーのコミカルな表情と、テンポのいい展開に魅かれ、プロポーズのシーンなどが記憶にしっかり残っていたように思います。


でも、テレビで繰り返し放送され、20代に入ってから私の印象に残るようになったのは、終盤の国王と王妃のシーン。エディー・マーフィー演じるアキーム王子の両親でもある2人は、アキームの結婚を巡り、揉めます。王妃は、「リサはいい娘よ」と言って、国王にアキーム王子が求める結婚を認めるように言います。王妃に「いい加減に機嫌を直してくれ」とも言っていた国王は、見合い結婚がしきたりで変える訳にはいかないんだと、最後には、半ばボヤくように言います。すると王妃が、「あなたが国王でしょ」と一言。


しばらく前に、ネットの名言紹介記事で見つけた言葉。

アスファルトの道は歩きやすいが、そこに足跡など残りはしない。


現代日本の平均寿命のだいたい半ばあたりにきて、この頃、この先もアスファルトの道もあれば、足跡がくっきり残りそうなぬかるみに踏み出すこともあるかもしれないかなと思います。ただ、自分なりに踏み出した一歩一歩を大事に、その次の一歩も、私の一歩を大事にしていきたいと考えています。

あの頃は


私が20代の頃に流行ったセカチュー、「世界の中心で愛を叫ぶ」。映画の後に作られたドラマ編の方を、たまたま初回に見て、その後は最終回まで毎回、きっちり見ました。その頃に熱中したのは、やっぱり主人公の高校生、朔と亜紀の展開だったように思うのですが、やけに印象に残っているのは、朔の父親と亜紀の父親が、岸壁に2人並んで話をするシーン。亜紀の父親は、ちょっとビシッとスーツ姿、幾分、距離を置いて、一緒に海を眺めながら座る朔の父親は、ポロシャツか何かのやや寛いだおじさん風だったと記憶しています。先に、亜紀の父親が、朔が思い立って、タキシード姿の朔とウェディングドレスの亜紀の記念写真を撮る計画を練っていることについて話し始めます。亜紀の父親は、

「うちの娘は、もう長くないかもしれません。私が朔君の親だったら、そんな写真を撮ることに反対すると思います。」

と言います。すると、朔の父親は、ぼんやりと海を眺めたまま、

「そうですかねぇ。また、こんな風に幸せそうに笑いたいって、思うんじゃないですかねぇ。」

と、のんびりと返します。


もう一つ、私が20代の頃に見て記憶しているもの。大学に通うのに使っていた電車の中吊りに、雑誌のキャッチコピーを募集する広告が出ていました。大賞の賞金が100万円だったかで、何か思いつかないかなぁと考えながら眺め、数ヶ月後に発表された大賞作品を、確か、何かの雑誌で見ました。大賞作品は

好きな雑誌はなんですか?

でした。最初に見たとき、なんだかハイセンスかなぁと思いつつ、雑誌のよさをアピールする文言が抜けているような感じで、ちょっと呆気にとられたようにも思いました。でも、問いかけてくるところになんだか温かみもあって、それでいて並ぶ雑誌に目を向けてと誘ってもいるんだなと、そう、今の私は感想を書きます。


大人になって、大事な公的書類を自分で書く機会も、特に家庭をもってから増えました。だけれど、気がつくと、自分が問いかけられる機会は滅多にないないような気さえ。

大人って自由でいいな

という子供時代の呟き、大人になったからではなく、なんだか遠のいて、しみじみと思い出せないような。


2週間ほど前だったか、私が洗い物をしていて、ちょっと視線をあげたら、主人がいつものように、ソファに寝そべって、iPadで調べものをしているようでした。

「何を調べているの?」

ときいたら、なんだったか、昔懐かしのキーワードみたいなのをボソッと言いました。で、私が、なんとなくの思いつきで、

「あの~頃は~よかったねと~、言いって~過ごしたくな~い」

と、槇原敬之のサビを歌ったら、主人がガバッと起き上がって、咄嗟に、

「ごめんなさい」

と言っていました。マッキー、いい歌作るなぁ。

一緒にいてくれるだけで


木村拓哉松たか子の共演で、私が予備校生だった頃に話題になったラブジェネレーションというドラマ。私はあまり惹かれなかったのもあり、たまに時間があうとちょっとだけ見ていました。唯一、印象に残っているのは、メインのストーリーから外れて、木村拓哉のお兄さん役の内野聖陽とその婚約者の純名里沙の最終回のシーン。


最初、婚約をしていた2人は中盤、関係が難しくなります。でも、やっぱりと、確か空港に内野が追いかけていって、純名を見つけ出し、面と向かって伝えた言葉。

「もう僕は、君を幸せにするなんておこがましいことは言わない。僕は君に幸せにしてもらいたいんだ。」


文脈によっては、ちょっと間違えると、いわゆるヒモ宣言にさえなりかねません。でも、勝手に言葉を補って

「僕は君が一緒にいてくれるだけで幸せなんだ。僕と一緒にいて、僕を幸せにしてもらいたい。」のプロポーズなら、本当に素敵かなと。


で、我が家は結婚8年目。今年は3歳の息子が幼稚園に入り、初めての夏休みもありました。ほぼ毎日、だいたい息子と一緒の1カ月半に、途中、私も度々、バテ気味、壊れ気味にもなりながら、また学期がスタート。夜、息子が寝静まって、スースーと寝息をたてているのを見ていると、来年の夏休みも大変そうだけれど、来年はできることもできちゃうこともたくさん増えて、色々と全然、違うんだろうなぁと、なんだかもう今年の夏休みが思い出深い。カップルと親子は勿論、あれこれ違うけれど、折々、「一緒にいてくれるだけで」の言葉が潜んでいるあたり、同じかなと。


寝顔を眺めているときとか、本当にそう思いますが。朝、息子と手を繋いで、「急ごう。園バスが来るよ。」とバス停に息子を急き立てながら向かう時間帯やら、本当に必死です。(^^;

A good smile (「笑顔」を英訳)

A good smile


In Japan its in the middle of season for taking entrance exams. After so many hardships and struggles, each ones spring begins in April.


I remember how much and how long I was depressed after I entered my university. Probably anyone could have found it to see my face when I trudged up the way to the campus.


Although I know its so rude especially to my schoolmates and others at the university I graduated from, I write the following honestly. Inside, I always muttered I didnt have to study so much or make such an elaborate plan just to enter this university. However I confess another thing here too. I always pretended not to notice my deepest wish.


I often saw students on campus laugh so cheerfully and from the bottom of their hearts. That made me depressed every time. Those days I was doubtful whether I could smile a good smile again someday. 15 years has passed since my graduation.

As long as you keep your wish to smile a good smile, you dont forget to smile a good smile.


Now thats my core philosophy and I would like to stay tenacious in holding it.


笑顔



笑顔


大学に入学してからかなりの間、私は自分の大学のキャンパスに足を踏み入れるのが、嫌で仕方がありませんでした。いつも、うつむき加減で、見るからにも重そうな足取りで正門から校舎に続く道を歩いていたんじゃないかと思います。


母校の同窓生や関係者の方々への大変な失礼とも知りつつ、ここに本音を書くのなら、その頃の私は、その道を辿りながら、いつも、「私はここに通うために、あれほどの努力を積み重ねたのではない。」と、心の中でぶつぶつと呟いていたと記憶しています。でも、卒業して十五年ほど経って、私がここに素直に書けるのは、それだけではなく、キャンパスに足を踏み入れると、本当に楽しそうに明るく笑う、同級生のその笑顔が目に入ってくるのが辛かったんだと思います。


「私もいつかあんなふうに笑える日がまたやって来るのだろうか」

そんな問いかけを、心の奥底に押し込めていたようにさえ、今、振り返ります。

「自分の本当の笑顔を大切にしたいと願い続けているのなら、私は自分の大事な笑顔を忘れることは決してないのではないか」それが、今の私がここに書けることです。これを、私の人生の大切な学びの一つとして、しっかりと抱いていきたいと考えています。






                           

家庭というミニマム


私の中で、THE・大阪の元気なおばちゃんの上沼恵美子さん。数年前に、ネット記事での発言で、

「マネージャーとも話すんですけど、この業界、生き残るのは、やっぱり感じのいい人だねって。」

を、読んでから、時々、上沼さんについての記事があると、目を引くようになりました。


その上沼さんについての記事で、しばらく前に「夫源病」と診断され、その対処として、女子会を開いてお泊まりをしたり、言い方を変えるとプチ家出を企てたりするようになったというのがありました。その記事には、上沼さん、出産後間もなくの頃に子供の夜泣きで姑に責められたことなどもネタにしつつ元気なおしゃべりを展開している一方で、仕事の前には、毎日、きっちり家事をこなして家を出てくるのが長年の習慣というような内容も書かれていました。私には、なんとなくこの診断名、上沼さんがお医者さんに、「ちょっと旦那さんのことを責めてもいいんじゃないですか。」と言ってもらったような診断名のようにも思えてしまいました。


全く趣きの違う個人名をここに持ち出すと、私が家庭ということを考えるときに、何かと思い起こすのは、大江健三郎氏の一文です。私が高校生時代に出版された、ちょっと絵本のように大きいサイズの薄めの本で、タイトルは「恢復する家族」。奥様による挿し絵がふんだんに入っていました。

「家庭は社会の基本単位です」

前後にどのような文章が書かれていたか、今となっては、あまり記憶していません。社会という言葉も、文脈によって色々と意味するところも変わってくるかと思います。ただ、私はこの一文に、「家庭というのも、色々な人と共にいて、お互いを尊重し合う小さな社会である」という原則を示されたように感じます。


我が家は、主人と私と息子の三人家族。現代にはありがちなコンパクトめな家庭でしょうか。でも、それでさえ、夫婦が大人同士としての連携も図りつつ、3歳の息子を育てもしの毎日に、試行錯誤がいっぱいです。息子にとっては、家庭が、勿論、初めての社会。そして、私と主人は、それぞれの家庭に育ち、それぞれに積み重ねてきた人生も持ち合わせ、お互いに動かし難い個性も持ち合わせているようです。余裕があるときには、お互いを刺激的で面白いと思い、厳しい状況のときには、厄介で大変だと思いあっているかもしれません。それでも、人と繋がってこその力、人と繋がることの難しさもわきまえつつ、これからもこの家庭を一緒に築きつつ、人生を展開していけたらと希望しています。

プリティ・ウーマン



私が小学生の頃に公開された映画、プリティ・ウーマン。大学に通っている頃にケーブルテレビで再放送があり、10年ぶりくらいに見たことがあります。私の印象に強く残っているのは、ジュリア・ロバーツが音楽を聴きながら、一人ですごく楽しげに大きなジャグジーバスに入っているシーンと、グランドピアノのシーン。


グランドピアノを弾いていたリチャード・ギアの傍に来て、ジュリア・ロバーツは言います。

「娼婦仲間の友達に教えてもらったの。お客と恋に落ちない秘訣。キスをしないこと。」

そう言ってから、自分から顔を近づけて、リチャード・ギアとキスをします。


プリティ・ウーマン10年ほど後に公開された映画に、邦題でプリティ・ブライドというのがあります。原題はRunaway Brideリチャード・ギアジュリア・ロバーツの共演。この映画が公開されたときに、ジュリア・ロバーツが何かのインタビューで、次のように言っていました。

プリティ・ウーマンの後に、続編の映画の話が沢山きたわ。でも、どれもプリティ・ウーマンに続くようなきれいなストーリーではなかったから、断り続けたの」と。


プリティ・ウーマンは、本当に、リズミカルなテーマソングが記憶に残るだけの素敵なシンデレラストーリーではなく、随所で、ジュリア・ロバーツ演じるビビアンの鋭い切り返しもかっこいい、いい映画だったなと記憶しています。


私の人生で、何かかっこいいオリジナルセリフでも口にする機会、あるかなと思いめぐらしながら。気がつけば、日々、一時間に3回ほど、息子が何かをするにつけ、

「こらこらこら」

の連発です。(^^;