可能性を模索

 私が20代後半の時にはまって、唯一、DVDまで購入したドラマがあります。ただ、買ったDVDは、見落とした回などをちょっとチェックする程度に見てしまいこんでしまい、今でも、実家の収納の奥の方にあるかもしれません。草彅剛主演の「恋に落ちたら」というドラマです。タイトルは「恋に落ちたら」ですが、話の中心は、パソコン大好き男の変遷です。 


主人公の鈴木島男はねじ工場の息子でした。パソコンが大好きで、プログラマーとしての才能は天才的。お金というものにも疎かったのですが、父親が亡くなった後に、母親が臓器移植の必要に迫られます。でも、そのためには数千万円が必要と医者に言われ、金策に走ります。金額の数字の記憶は正確ではないと思いますが、島男が消費者金融のようなところの窓口で、「3000万円を貸してください。」と、息せき切って言うようなシーンを覚えています。勿論、そんなお金を貸してもらえるわけもなく、また、母親は亡くなります。その後、島男は六本木ヒルズにオフィスのある、IT企業にひょんなことから雇われます。島男を雇った社長の高柳に、周りの社員は「なんであんな奴を?」と折に触れてこぼします。でも、島男はたまたまの出来事も足がかりにしながら、難しい仕事や大きな仕事を成し遂げていきます。そして、ついには高柳と張り合うようになり、その上、高柳と対立して、高柳を会社から追い出します。ところが、その後、トップに立った島男も、やはり、外部から入って来て後ろ盾になってくれていた人間に失脚させられます。 


自宅にこもるようになっていた島男に、ちょっとずつ再起を企て始めた高柳が、また一緒にやって欲しいと、会いに行ったりします。でも、島男はなかなか重い腰を上げようとはしません。そんな時、自宅のねじ工場のねじを一つつまみあげて見つめていた島男は、ポツリと、「また、ねじを作ろうかな。」と言います。その言葉を聞いた妹は、間髪を置かずに、「ダメ。お兄ちゃん、今、後ろ向きな気持ちでねじを作ろうとしている。そんなお兄ちゃんにねじを作らせない。」と言い放ちます。 


その辺りからの展開は細かくは覚えていません。ただ、友情を手繰り寄せるように、高柳と島男と、もう一人の元役員社員で、ねじ工場のある島男の自宅を事務所に、なんとか起業にこぎつけます。そして、やはりドラマということもあり、島男が開発した画期的な技術を使いたいと、奇跡的に海外の大きな会社から取引を持ち込まれ、高柳は、元の場所にオフィスをもって会社を再運営するまでになります。島男は、自分のプログラマーとしての才覚を活かした仕事もこなしながら、ねじ工場の経営にとどまります。最後の方のシーンで、私が覚えている場面は二つ。一つは、島男がねじ工場のある自宅の居間で、こたつ机に、元は高柳の秘書で、ずっと島男を見守り続けてくれていた恋人と、向かい合わせにパソコンに向かっているシーン。もう一つは、高柳のオフィスで、高柳に社員が報告を入れます。社員が、どこかの会社がすごい技術を持ち込んで仕掛け始めたと言うのです。高柳が、「どこの会社だ?」と問いかけます。すると社員は、「それが、町の小さなねじ工場らしいんです。」と、答えます。それを聞いた高柳は、目を光らせて、気のせいか、ちょっと嬉しそうな笑みを浮かべて、「鈴木ねじだな。鈴木ねじから目を離すな。」と社員に力強く指示を飛ばします。 


私は、島男が色々な経験をしながら広い世の中に出て行って、一度は大切なものを見失いかけながらも、自分の夢を追いかける場所を、自分で見つけ出すドラマを見たように思っています。 


私も最近、歩みはゆっくりでも、もしかしたら多少は遠回りでも、自分が心から求めるものに近づいていけたらと思った時に、小学生時代の塾の国語の先生の言葉を思い出しました。日曜日に通っていた教室で、最後の学期に担当してくれることのあった女性の先生で、いつも何となく元気で、ちょっと楽しげで、生き生きとした表情が印象的な先生でした。私はその先生が大好きで、その先生の授業が入っていると、毎回、楽しみでした。中学受験前の最後の日曜日にその先生の授業がありました。その時のその先生の言葉は、 「受験はね、最後は運よ。でも、最後にどれだけの運が自分にやってくるかは、今まで、どれだけ本当にこの学校に合格したいと思って努力してきたかなのよ。」だったと思います。そして、みんな頑張ってねと送り出してくれました。


 自分が何を求めているのか、問いかけながら歩んでいくことは大事じゃないかと思います。 


全ての人間の命は喜びとともにこの世に迎え入れられて、その喜びを忘れたくないという思いとともに常に在るはずだと思います。若しくは、そういう社会であってほしいです。が、現実は、やるせないような思いが心に残るニュースも少なくありません。経済的困窮、もしくは子供の重篤な障害やその他の事情から生じる子供を育てる上での困難、心身ともに重い負担がのしかかる介護などから、大切な家族を苦しい思いで殺めて、自分も後を追おうとするような事例もそう、珍しくなくなってきてしまいました。自分は大丈夫じゃないかと思っていたのが、いつの間にか喜びを思い起こせなくなっていたり、いつの間にか行き詰って一歩も前に歩めなくなったり、利くはずと思っていたあと少しの踏ん張りができなくなっていたり。


 でも、人間は永遠に考える葦であるはずです。どんなときも前を向いて歩む力を持っているんじゃないかと思います。それは、希望を掲げて待つことかもしれないし、周囲に相談や協力を求めることかもしれません。藤子不二雄が創りだしたドラえもんが、 「大丈夫?しょうがないなぁ。」 と言って、机の引き出しから飛び出してきてくれることは、どこの家庭でも決してあり得ません。私は私なりに、冴えた頭と生き生きとした心を持ち合わせながら、可能性を模索することを忘れないように心がけていけたらと思っています。