学ぶ

私は友人に誘われたような時しか映画を見に行かないのですが、その私の心に、きっと一番、感動的な作品として残っているのは、受験生の頃に見た、ディープインパクトという映画です。あらすじは、数年後に地球に巨大な隕石が衝突することがわかり、宇宙船で科学者たちがその隕石を破壊しようと挑戦したものの、一度は作業に失敗し、宇宙船の残りの燃料も少なくなったところで、乗り込んでいたメンバーが自分達の意志で宇宙船ごと隕石に突撃して破壊し、地球を甚大な被害から守るという内容です。


 宇宙船の出発前に、日本で言えばいわゆる壮行会のようなパーティーが開かれます。乗組員は、一人だけ熟年の経験豊かな船長と、あとはまだ若いながらも優秀さ故に抜擢された科学者達です。若い乗組員は、家族と賑やかに乾杯をしたり笑い声をあげたりしながら、世界に名を残す偉業を成し遂げてくると意気揚々です。一方で、船長は、会場の片隅のようなところで、二人の息子達に、「本当に大変な任務に出るときは、何も話さない約束に母さんとなっていた。」と切り出し、言葉数少なく、出発前の挨拶を交わします。 


そして、宇宙に乗り出し、隕石に近づくと、数人の乗組員が船外活動をして、爆弾を設置して隕石を破壊する任務を試みます。ところが、爆弾を予定通りになかなか設置できず、強烈な太陽光も迫って来て、中途半端な爆発しか引き起こせず、失敗に終わります。また、乗組員の一人は宇宙空間に投げ出され、もう一人はなんとか宇宙船に戻ることはできたものの、強烈な光が目に入って、両目を失明してしまいます。その乗組員は、宇宙船のベッドで手当てを受け、傍らに船長が付き添います。しばらくして、失明した乗組員が痛みも落ち着き始めた頃、船長はおもむろに、「小説を読んでやろう」と言い、確か老人と海だったと思いますが、朗読を始めます。船長はその乗組員に、「小説を読んだことは?」と尋ねます。すると、乗組員は、「ない。いつも一番になれと言われてきた。」と答え、そのまま、小説の朗読を続けてもらいます。 


その乗組員も操縦室に戻れるようになり、他の乗組員が、残された燃料を計算します。すると、自分達が宇宙船ごと隕石に突撃すれば、隕石を破壊できる可能性があることがわかります。船内で、「どうするか?」という話になります。この時、失明した乗組員が、「家に帰ろう。」と言い、船長の「そうだな。」という言葉もあり、一度は地球へ帰ることが選択されます。ですが、そこからの展開はあまり記憶していないのですが、確か、しばらく日数も経過した後で、やはり、また乗組員でどうするかの決断の話し合いに至ります。誰かが、「地球に戻ることはできない。」と発言し、静かながらも、乗組員の確固とした満場一致で、宇宙船ごと隕石に突撃することを決断します。 


私はここに、自らの命を犠牲にして地球を救うことを成し遂げた、乗組員達の英雄的行為を讃える感想を書きたいのではありません。私がここに書きたいのは、もしかしたらというよりもきっと、あの失明した乗組員にとって、自ら自分の命を犠牲にして隕石を破壊するという決断は、船長の小説の朗読を聴くという学びもあってこそ広がった人生の選択肢だったのではないかということです。 


私は、学ぶというのは、人生をより心豊かに生きていくための努力ではないかと考えています。 


日本では、もう数十年も前から、受験勉強というものについての賛否があります。私は、受験勉強というのは、極論すれば、自分が望む学校に入学することを可能とする手段ではないかと考えます。ですが、その根本にも、自分の望む人生の選択肢を可能にし、自分の人生を豊かにしていきたいという思いがやはりあってこそとも考えます。弊害も多く取沙汰されますが、要は、それに臨む本人がどのような気持ちを心に持ち合わせながら挑むかにかかっているのではないでしょうか。 


アインシュタインは、「想像力は知識よりも重要である」と言ったことがあるそうです。私には、この発言は、「知識という原則には適わない例外も起こり得ることに気を付けて、目を凝らさなければならない」とでも注意を促しているように感じられます。2000年代、山中教授によってiPS細胞が作成されました。これは、それまで不可能とされていた生物学的変化を実現したもので、言いようによっては、それまでの生物学的知識を覆すという画期的な偉業でした。これからの時代は、もしかしたら、「知の起こす変化に想像を伴わせつつ、創造をしていく時代」とでも言い得るのではないかと、私は考えたりします。 


先週末は大寒波でしたが、そんな次の時代の担い手として既に目を付けられつつある若い世代が、受験会場に緊張しながら足を運ぶ時期にもなりました。自分自身の受験生時代を振り返り、ちょっと苦い思いやら、折々あったやっぱりちょっと嬉しかったことやらを思い返しつつ、やっぱりなんだか、「頑張れ」と呟いてあげてしまいたくなったりです。