いい親?

今、振り返ると、自分でもかなり変わっていたかもしれないと思うのですが、私は曾祖母の妹と大の仲良しでした。浅川のおばさんといって、曾祖母の年の離れた妹の一人で、今年96歳になる私の祖母の8歳年上でした。八王子のあたりにある浅川の近くに住んでいるからその呼び名だったのですが、時々、我が家に遊びに来ていました。私の曾祖母はお花やお茶などの習い事をたくさん嗜んで、特にお花は、教えることはあまりしなかったそうですが、かなりの技能で、池坊のけっこう立派な看板を私も一度だけ、目にしたことがありますl。一日中、部屋で静かに本を読んでいるようなその曾祖母を訪ねて、浅川のおばさんが我が家にやって来て曾祖母の部屋で、曾祖母に「姉ちゃん、姉ちゃん。」と言って話しかけて、いつも楽しそうにしていて、よくしゃべり快活に笑うおばさんが私は大好きでした。おばさんも私のことをとても可愛がってくれて、私へのお決まりのお土産を欠かさず、そして私とたくさんおしゃべりをしてくれました。だいぶ後になって弟が言っていましたが、いつも私とおばさんのことを変な2人と思っていたそうです。


 そのおばさんは、実は医者になりたかったそうです。私が高校生の時に、法事で会って、たまたま将来の希望を訊かれて、、私が医者になりたいと言った時に初めて話してくれました。私の両親もその時まで知らなかった話なのですが、東京女子医大病院で浅川のおばさんは生まれ、女子医大創立者か何かの先生と、両親、私からすると高祖父母が、この子が元気に大きくなったら女子医大に入学させて医者にするという約束をしたそうです。おばさんは、一生懸命に勉強をして、女学校の卒業の一年前には、この成績なら女子医大も大丈夫でしょうと言われていたそうです。ところが、その後、家が火事になってしまい、経済的な理由であきらめざるを得なかったそうです。おばさんが、 「悔しくて、一年間、私は本当に泣いた。」 と言っていました。私は、悔しいと素直に言い放ったおばさんを、本当に素敵だとも、かっこいいとも思いました。女学校卒業後、おばさんは実践女子大学に入学して、国文科で勉強し、小学校の教員になりました。結婚して、おじさんが戦争から帰ってから大病をし、おばさんはまた教壇に立つようになりました。私と一緒にいるときも、何かにつけ、 「子供は面白いね。」 とよく言っていました。また、高齢になってからも短歌づくりや書を続け、一度、私が中学生の頃、やる気がないけれどとりあえず提出をして返ってきた課題で、何かの短歌を写し書いたものをたまたまおばさんんが目にして、何かちらほら解説を交えながら注意をしてくれたのを覚えています。 


私が医者になりたいと言ったのを聞いて、私の祖母を呼んで、 「よくこの子を育ててくれた。」とおばさんが言ったのを覚えています。でも、私は結局は、浪人をしても医学部に合格することができませんでした。他学部に入学が決まったか、入学したての頃だったかと思います。もう、認知症もかなり入っていたはずのおばさんから突然、我が家に電話がかかってきました。たぶん、私の医学部受験のことだけは頭にあって、電話をしてきたんだと思います。でも、私との電話で、決して医学部という言葉などは口にせず、ただ、 「学校はどう?」 とだけ、おばさんは私に訊きました。私はその頃、大学受験の締めくくりに精神的にガタガタ崩れるようなこともあり、結果を出せず、大学受験の結果に触れるような話は到底、できませんでした。それで、ただ、 「元気に行っているよ。」 とだけ、回答しました。その時の私にとっての精いっぱいの返事だったと思います。


 おばさんは本当に私が医学部に合格するのを楽しみにしていました。でも、きっとそれ以上に、私を本当に可愛がってくれていたんだと思います。その2、3年後におばさんが亡くなり、それからまただいぶ年月が経って、改めておばさんの気持ちをかみしめて、心の中でおばさんに 「ありがとう」 とつぶやきました。


 話は一度、ずれますが、かなり以前のドラマで、元はすごい不良だった少女が、いわゆる正義の味方のような職業に就くというストーリーがありました。その仕事についてから、不良時代にお世話になった刑事さんに再会するシーンがあり、その時の刑事さんのセリフ。 「お前が補導されて引き取りに来た時、お前のお母さんは、お前を怒鳴りつけるのでもなく、泣きわめくのでもなく、ただ、お前を抱きしめた。このお母さんがいるから、この娘は大丈夫だと思った。」 このセリフ、視たときにはわかるようなわからないようなと思いました。 


今、この刑事さんのセリフを私の言葉で説明しようと試みるのなら、

 娘が社会的ルールを犯したときに、怒鳴って怒って、頭ごなしに社会ルールを叩き込ませようと抑え込もうとするのでもなく、泣きわめいて、本当は自分のやったことを悲しむ立場にあるはずの当人よりも感傷的になって悲しむのでもなく、どうしてそんなことをするのと言う戸惑いを抱えながら、娘を大事に思う気持ちを必死で表現しようとした母親。そんな母親がいれば大丈夫。 

と言うことじゃないかと思います。 


息子を出産して、約1年半。なんだか、どうしても自分自身がいつもどこか張りつめているような気もします。子供の世話などをする時間が、だいぶ私の1日を占めていても、私の時間であることにも変わりなく、私の毎日であることにも変わりありません。ただ、そのスケジュールの融通の利かなさなどは、出産前とは比べ物にならない。それでおうおうにしていっぱいいっぱいのことが多いからか、時々、自分の言ったりやったりしたことに、ちょっとして振り返って、 

「あちゃー。」 

と思うこともしばしば。


 たまにお手紙のやり取りをさせて頂いている中高の先生が、返信に、 

「誰もが初めての人生だから」 

と新聞に書いてあったのを読んだことを書いて下さったことがあります。 


「誰もが初めての人生だから」 その言葉を、自分への安易な言い訳として携えるつもりはありませんが、時々、自分への寛容さを呼び起こすためになら、携えていてもいいのかなと思います。 


色々とあったりもしますが、色々と、めげずに一歩一歩なんて心がけようと思っています。