言語は文化


私が英語学習を始めたのは、中学受験を終えて間も無くの頃です。中学受験のために通っていた塾の中学準備コースで、アルファベットやスペル、文法などについて一般的な講義形式の授業も受けていました。それと同時に、父の勧めで、親戚のお姉さんに紹介してもらったインド人のモニカに週一回、プライベートの英会話レッスンをしてもらっていました。モニカは、お父様が外交官で、私が入学の決まっていた中学にほど近い大使館職員寮に住んでおり、モニカがインドに帰国するまで、入学後も2ヶ月ちょっと教えてもらいに通いました。モニカは、お父様の仕事柄、幼い頃から海外で育ち、私に教え始めてくれた頃も、ちょうど日本にあるインターナショナルスクールの高校を卒業したばかりで、自分の国の言葉はほとんど話せないということでした。私とのレッスンのときには、カタコトより一歩進んだような日本語での説明も時々交えてくれました。


 教えてもらい始めてすぐ、モニカが書くアルファベットが、なんだかチャーミングな可愛いらしいような文字で、真似しようと思いました。でも、どうやってもモニカのようなチャーミングなアルファベットが書ける気がせず、すぐにあきらめました。それどころか、その頃はまだまだ算数大好きだった私は、英語イコールあれこれ面倒臭くさえ感じられ、アルファベットの書き順もかなりいい加減でした。で、モニカの前でアルファベットを書くときに、一度、書き順か棒線の書く方向を間違えたところ、思いがけず、すぐにモニカに止められました。そのときにモニカが私に言ってくれたことは、

日本語の漢字やひらがなも書き順や、はらうところ、とめるところとかがあるでしょ。アルファベットも同じ。英語の文字で、言語は文化だから、書き順、まっすぐに書くところ、内側に丸くなるところは、きちんとそうしないと。

というような内容だったと記憶しています。


そのときのモニカの言葉がとても印象的で、私はアルファベットの書き順や丸みを帯びた線、まっすぐの線など、意識して書くようにしました。


話は一度、大きく飛びますが、最近、世界共通語としての英語というのも提唱され、また英語教育熱というのが高まっています。多くの言語があるなかで、英語は益々、特殊なものとなりつつあるように感じます。世界規模でのコミュニケーションの場が増えてもいれば、様々な分野で第一線の情報は、英語で吸収できることが不可欠な場合も多々あります。


ですが、その場に集う人間、もしくは、英語というツールを用いてにしろ、繋がろうとしているそれぞれの人間は、それぞれの国、それぞれの文化の中に生きてきた人間のはずです。大昔にどこかで見かけた一文で、確か、

あなたは、どこをどう歩こうとも、足裏にあなたの国の名が刻まれている

というような内容のものがありました。


もう一つ、高校のときの国語のプリントにあった一文で記憶しているのは

国際化とは自国の文化を相対的に高めていくことである

というのがありました。


技術や様々な研究が進み、世界規模での協調を図ることが試みられるのと同時に、地球が小さくなったかのように国際的な交流も益々、盛んになりつつあります。


そのときに、英語は非常に便利なツールになり得るのも確かかと考えます。ですが、言語の運用能力だけでは必ずしも必要十分ではないはずです。そこに、他人と繋がるということへの配慮、しかも違う文化に育まれてきた相手であれば、なお慎重な配慮も不可欠なはずです。


そういうことにも留意した英語教育がなされてこそ、日本人の国際化に繫がっていくのではないでしょうか。


30歳過ぎの頃に、英検一級とTOEIC満点を取得しても、自分が、やっぱりペーパーテストと面接に強くなっただけで、この先、何をしようかと迷いながら40歳。やっぱり英語が好きで、触れ続けてはいますが、社会にもう一歩、踏み込んで出ていくなら、どうしようかなと模索中です。