家庭というミニマム


私の中で、THE・大阪の元気なおばちゃんの上沼恵美子さん。数年前に、ネット記事での発言で、

「マネージャーとも話すんですけど、この業界、生き残るのは、やっぱり感じのいい人だねって。」

を、読んでから、時々、上沼さんについての記事があると、目を引くようになりました。


その上沼さんについての記事で、しばらく前に「夫源病」と診断され、その対処として、女子会を開いてお泊まりをしたり、言い方を変えるとプチ家出を企てたりするようになったというのがありました。その記事には、上沼さん、出産後間もなくの頃に子供の夜泣きで姑に責められたことなどもネタにしつつ元気なおしゃべりを展開している一方で、仕事の前には、毎日、きっちり家事をこなして家を出てくるのが長年の習慣というような内容も書かれていました。私には、なんとなくこの診断名、上沼さんがお医者さんに、「ちょっと旦那さんのことを責めてもいいんじゃないですか。」と言ってもらったような診断名のようにも思えてしまいました。


全く趣きの違う個人名をここに持ち出すと、私が家庭ということを考えるときに、何かと思い起こすのは、大江健三郎氏の一文です。私が高校生時代に出版された、ちょっと絵本のように大きいサイズの薄めの本で、タイトルは「恢復する家族」。奥様による挿し絵がふんだんに入っていました。

「家庭は社会の基本単位です」

前後にどのような文章が書かれていたか、今となっては、あまり記憶していません。社会という言葉も、文脈によって色々と意味するところも変わってくるかと思います。ただ、私はこの一文に、「家庭というのも、色々な人と共にいて、お互いを尊重し合う小さな社会である」という原則を示されたように感じます。


我が家は、主人と私と息子の三人家族。現代にはありがちなコンパクトめな家庭でしょうか。でも、それでさえ、夫婦が大人同士としての連携も図りつつ、3歳の息子を育てもしの毎日に、試行錯誤がいっぱいです。息子にとっては、家庭が、勿論、初めての社会。そして、私と主人は、それぞれの家庭に育ち、それぞれに積み重ねてきた人生も持ち合わせ、お互いに動かし難い個性も持ち合わせているようです。余裕があるときには、お互いを刺激的で面白いと思い、厳しい状況のときには、厄介で大変だと思いあっているかもしれません。それでも、人と繋がってこその力、人と繋がることの難しさもわきまえつつ、これからもこの家庭を一緒に築きつつ、人生を展開していけたらと希望しています。