自分を見つける



昨年、聖路加病院の日野原先が亡くなられ、追悼の番組などが色々とありました。その中で、日野原先生の言葉で私にとって一番印象深かったのは、「人生とは自分との出会いである」という言葉でした。日野原先生の著書などを以前にも読んだりしていたのですが、長年、医療や医学の発展に大きく寄与されながら、1人の人間として、ご自分の心の中の気持ちを素直に感じ取りもされながら、一歩一歩、歩まれてきたのではと思いました。


紹介されたVTRで、晩年、奥様が認知症を患われ、日野原先生にとって、お仕事から帰宅して、奥様の手をとって、「ただいま」と声をかけるときが一番の安らぎのときだった、とあったのもとても印象的でした。


もう遠い昔になりつつありますが、私は受験生の頃、しぶとく医学部を目指していた時期が長くありました。途中で体調を崩したこともあり、諦めました。私は十代、二十代、途中、間があくこともありましたが、長く、定期的にカウンセリングルームに通っていました。カウンセラーさんと交わした言葉をここに書くことはしませんが、今となってみれば、そのような機会を得られたのは、それはそれで本当に恵まれたことでもあったと思います。一方で、その頃、そこに通わなければ、自分の将来への手がかりを見つけられないような気持ちも抱えつつ通っていながらも、自分が余計なことを思い悩まなければ、ここへ通う必要もなかったのでは、もっと輝かしい経歴も手にしていたのではと、折々、暗い気持ちも持ち合わせていたのも、ここに正直に書いておこうと思います。ただ、そこで、自分と向き合い、自分の気持ちを噛みしめるような言葉も見つけつつ、お話を重ねたからこその、今の自分の強さもあると考えています。


それでも、当たり前といえば当たり前ですが、今でも行き詰まるようなこともあります。ここ最近、中学高校の修養会という行事で紹介された絵本をふと思い出し、ネットで購入しました。シルヴァスタイン作の「僕を探しに」という絵本です。まん丸だけれど、口のところがパックリと三角にあいた僕は、口のところにちょうどはまりそうなかけらを探しに旅をします。歌いながら、色んなものに出会しながら、長く転がり続け、幾つかめに、ぴったりのかけらを見つけます。ところが、そのかけらをくわえて転がり続けると、ずっと早く転がることができるのだけれど、しばらくして、そのかけらをそっとおろし、また一人、転がっていきます。


この絵本の解釈は色々とあるようです。ただ、作者の言葉として、「すべてがうまくいかなかった駄目な人間(those who didnt fit)のためにも、those who did のためにも書いた」とあるそうです。


私自身の解釈は、幾度、失敗や挫折も重ね、その都度、自分を省みても、その後もやっぱり何か足りない自分、でも、その自分だからこその面白い人生があり、それぐらいの心持ちで歩むのがだいたいちょうどいいんじゃないか、です。そんな感想を持ちながら、この本を机から手を伸ばしてすぐのところに置くことにしました。